アマゾンプライムで配信中の「夏へのトンネル、さよならの出口」(2022)(82分)を鑑賞。
映画版と漫画版のみ既読、小説版はほぼ未読での感想です。
原作は第13回小学館ライトノベル大賞でガガガ賞と審査員特別賞を受賞した、八目迷さんの同名小説。イラストはくっかさんが担当。2019年7月刊行。
あらすじ
海と山に囲まれ、よく鹿などとの事故で電車が止まる田舎町の香崎。
主人公・塔野カオル(声・鈴鹿央士)は学校でこんな噂を耳にした。
「ウラシマトンネルって、知ってる?」
「欲しいものがなんでも手に入るんだけど、その代わりに歳をとっちゃうの」
その声を遮断するように音楽を聴きながら下校したカオルは、駅で雨に濡れた少女・花城あんず(声・飯豊まりえ)に出会い、傘を貸す。
翌日、東京から転校生としてあんずがやってくる。
しかしあんずは自己紹介もせず、誰に対してもつっけんどん。さっそくクラスの女王・川崎に目をつけられたあんずは、問答無用で川崎を殴ることで孤高の存在に。
一方夜……塔野家では父親が泥酔してカオルにきつく当たる。
命日の近い妹・カレンを、おまえの命と引き換えにでも返せ、と。
逃げるように家を飛び出したカオルは、線路脇に不思議なトンネルを見つける。
中に入った彼が手にしたのは、失くしたはずのカレンのサンダルと、何年も前に死んだペットのインコ・キイだった。
ウラシマトンネルを連想し、急いで引き返すカオル。
そのまま帰宅したが、カオルを迎えた父の様子はおかしかった。――カオルが1週間、無断外泊したというのだ。携帯の通知も、学校の生徒たちの言うことも一貫している。
再びウラシマトンネルを訪れたカオルは、カレンを取り戻そうと先へ進む。
そんなカオルを止めたのは、あとをつけていたあんずの声だった。
――外と中で時間の流れが違うトンネル。
――その代わり、欲しいものが何でも手に入る。
それを理解したあんずは、カオルにこう持ち掛ける。
「私と手を組まない?」
そうして二人は協力してトンネル内外での時間の流れの差や、時間が隔絶される位置を正確に計ったり、出口を探したり、土着の言い伝えなどを調べたり……と、自分の願いを叶えるために様々な方法でトンネルを検証攻略しようとする。
レビュー&考察
本作は原作がラノベレーベルから出版されてこそいる(……し、まあまあテンプレは踏襲している)のですが、審査員から「送る賞を間違えている」と言われた上で、大賞と特別賞を同時受賞しているという、なかなかに異端な作品です。
実際に映画単体で見ると、メインの登場人物は個々に解決すべき問題を抱えつつも、キャラクター的には、これぞラノベ! といえる程のぶっとび感はありません。
むしろ『年相応の悩みと行動』という点においては割と純文的ですらあります。
以下、いつも通りネタバレに配慮せずに語ります。
原作との相違点
映画版は原作と比べると、群像劇的な側面とSFチックな雰囲気は大分抑えられており、ヒロイン・あんずも演者が俳優ということもあり、演出的にも小説版ほどの狂犬っぷりはなく、ぎりぎり実在しうるのではないか? という絶妙なキャラクターメイクになっています。主人公・カオルのヤングケアラーめいた現状や、出生などについても端折られていますね。
あくまで主役2人の恋愛にフォーカスをあてることで、うまいこと映画という尺に合わせて再構築しているなという印象。
その分、既に亡くなっている妹・カレンが現実離れしたくらいのよくできた妹になっています。
ラノベの王道テンプレ設定を逆手に取ったヒロインの造形
そもそも「夏へのトンネル、さよならの出口」は、基本的にはラノベテンプレ感あるボーイミーツガール的なストーリー展開ながら、その本質は王道ラノベとは真逆ともいえる作品。
筆者は昨今のラノベ流行りはもっぱらチートな異世界転生や、派生のスローライフや悪役令嬢転生だと認識していますが、一時期は『ほとんど災害――嵐のようなヒロインが、ごく平凡な主人公を非日常へ連れ出す』というテンプレが大いに流行った……と記憶しています。涼宮ハルヒシリーズなどが筆頭でしょう。
ヒロインのキャラを立て、とことん魅力的にみせ、逆に語り手は読者が感情移入しやすい平凡な思考の人間……という実によくできたテンプレですね。
しかし、本作は一見『キャラが弱い』ともとれるほど、ヒロインが等身大です。
彼女の願いは、既に地に足のついた才能を持ちつつも『非凡さを求める』という、その年頃の青少年にありがちな、まあ言ってしまえば平凡な願い。
どちらかと言うと主人公の方が頭のネジが少々とんでいると思える節さえあります。
端的に言ってしまえば、そんな主人公を『非日常へ連れていくのではなく、ひたすら地に足をつけて歩くことで逆に現実に引き戻すアンカーになる』ことが、この映画のヒロイン・あんずの役割なのです。
実際、物語のクライマックスであんずは、ウラシマトンネルで外の時間経過では何年も(中では数日)時を過ごしているカオルに、外の世界の流れと、自分がその世界を何年も歩き続けていることを伝える続けることで、カオルに「現実世界に戻りたい」という思いを抱かせます。
そういった意味で、作品の主題自体が『非日常への憧れを詰め込んだラノベ作品へのアンチテーゼ』ともいえるのです。
……まあ、ヒロイン狂犬キャラではあるのですが。
主人公が得たもの
一方でカオルが得たものも、長いこと失っていた『現在』を生きる――人を愛して今を生きていていい、という自分への許しです。
要は彼の時は、妹・カレンの死で止まっていたんですね。ずっと過去をみて生きていた。
ある意味、彼は日ごろから常時ウラシマトンネルにいたようなものなのです。
だから、父の再婚と引越しの話が受け入れられなかったし、漫画版(と小説版)では母が別の人と楽し気に過去に囚われずにいることに拒絶反応を起こした。
あんずの言う、カオルがウラシマトンネルを見つけられた特別なものを持っている、という認識は、ウラシマトンネルとの一種のシナジーなのではないかな、と思うワケです。
確かにウラシマトンネルが『何でも手に入る場所』なら、特別であるという認識は正しいでしょう。
しかし、実際のウラシマトンネルは『失くしたものを取り戻せる場所』――要は、カオルが決定的に『今という時間に存在する意思が欠けていた』ことがウラシマトンネルを彼に引き寄せた。
彼は『持っていた』のではなく『欠けていた』というのが筆者の解釈です。
そこにヒロインから与えられたものこそが、『非日常を求める』ラノベらしからぬ、『現実を見つめる力』だったのでしょう。
まとめ
というわけで、総括しますとこの物語は、
『常にウラシマトンネルを彷徨っていたような過去に取り残された精神状態の主人公が、ウラシマトンネルという物理的にも時間に置いていかれる場所に出会い、ヒロインが真っ直ぐ進みながら彼を諦めずに呼び続けたことで、そこから脱出する話』
なのかなと思います。
彼にとっては一夏の冒険ではあるのですが、現実では大分歳が離れてしまった主人公とヒロインが、これからそこを埋めながら生きていくんだろうなあ、と思うと感慨深いですね。
夏のアニメ映画にしては、まあまあ重い話ではあるのですが、鳥居が紅葉のような木に謎の結晶があるものになっていたり、そもそも道が水であったりと、映像的にも爽やかかつ哀愁もあり綺麗。
ちょっとでも気になりましたら、一度アマプラでご覧になってはいかがでしょうか?
ここまでおつきあいいただきありがとうございました!