映画「竜とそばかすの姫」2021 感想と考察『ご都合主義』の使い方について考える

竜とそばかすの姫ベクターイラスト 映画

アマゾンプライムで配信中の「竜とそばかすの姫」(2021)(121分)を鑑賞。

えいまんぼん
えいまんぼん

監督は「時をかける少女」や「サマーウォーズ」などで有名な細田守監督
本作は第45回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞などを受賞しています。

あらすじ

高知県の田舎町に住む、そばかすが特徴的な地味な女子高生・内藤鈴にはある秘密があった。
それは、『U』という50億のユーザーを抱える巨大なインターネット空間で一番注目されている歌姫・Bellの正体(オリジン)であること。

現実では、幼い頃母が見ず知らずの子供を助けて亡くなって以来、大好きな歌を歌えなくなっている鈴。
始めて『U』にログインした日、『U』が誇る潜在能力を引き出すボディーシェアリング技術によって、鈴は歌を歌い、「やっと、歌えた」と喜ぶ。
その歌声が様々なアレンジで拡散されることで、Bellのフォロワーはたちまち230万にまで爆発的に増加する。

慌てる鈴だが、友人のヒロちゃんのプロデュースでBellのアカウントはさらに有名になる。
そして迎えた、1億~2億の観客がいるとされるライブの日。
順調に進んでいたライブに乱入者が現れる。

それは、闘技場で連勝記録を塗り替えているが、ファイトスタイルが最悪で嫌われている『竜』と呼ばれるアバターだった。
批判的な意見が飛び交い、正体を暴こうとする組織・ジャスティスまで発足されているが、鈴(=Bell)は、竜に興味を持つ。

「彼は、誰?」

そうして様々な思惑で竜探しが始まる。

感想と問題点の考察

公開直後から、映像と歌はよいがそれだけ、という酷評が目立った本作。
かくいう私も、映像には満足しましたが、正直脚本には難ありかなと思います。

素直な感想を言わせてもらうと、それぞれの要素がパッチワークのようで、イマイチ噛み合っていないような印象を受けました。

監督が登場人物に言わせたセリフ「賛否両論があるのが本物の証拠」を借りるとすれば、この映画は本物なのでしょう。

しかし、否の意見が脚本に集中していることを鑑みれば、そこに多少なりとも何か問題があったと考えるのが妥当かと思います。

では、何に問題があったのか。
私は大きく2点が挙げられると思います。
順番にみてみましょう。

えいまんぼん
えいまんぼん

以下、ネタバレに配慮せずに語ります

問題点1「掛け算と引き算の圧倒的不足」

キャラクター編

多くのキャラクターが登場する本作ですが、そのほとんどが「このために出したんだね!」が実に明確です。
……いえ、誉めてるんじゃないんですよ。それがたくらみとして成功してる脚本も確かにあるんですけど、この作品については、冒頭で言ったように、パッチワーク……つまり、行動が脚本上必要なことにとどまっていて馴染んでいない印象なんですよね。

合唱クラブのおばさま方なんかが顕著。鈴に年上の目線からちょっとアドバイスして、車を運転してくれる人が必要だっただけにしか見えない。
これなら、ヒロちゃんか忍くんあたりを年上にして、その役割を兼任させればよかったんです。ていうか車に関してはお父さんの運転が正解でしょう。冒頭で「送っていこうか?」を拒否してるんですから。
ルカちゃんとカミシンだって、魅力的なキャラではあるのですが、登場シーンがなんだか唐突で、ほぼ現実パートの鈴の心の動きを出すための舞台装置になってしまっていると思います。だから、終盤のネット特定班みたいな行動も脈絡がない印象をうける。

おそらく鈴の現実での生活に奥行きを与えたかったのでしょうが、これだけとっちらかって見えて、人物に深みがなく、あまりにも記号的……ということは、ある程度役割を兼任させて掘り下げ(=掛け算)、登場人物を減らす(=引き算)という作業が必要だったと私は思います。
閉塞的な田舎を舞台にしてるのですから、コミュニティはある程度小さく見せることで舞台を記号的に描いた方が、話としてまとまりが良かったはずです。特に田舎のコミュニティ感はなかったので。

えいまんぼん
えいまんぼん

【余談・感想】
無口で内向的な主人公の心情の変化を、周りからのアクションで静かに描き出している、という点については、じっくりみると丁寧でいいなーとは思います。
そのためには枝葉のような登場人物は、確かに必要だった。

しかしまあ、アニメ映画なので、もう少しわかりやすい演出の方が良かったのではないか……とも思ってしまうのでバランスが難しいところでもあります。

時間配分編

時間配分についても同じようなことが言えます。
竜が出てくるまで30分は長い。
タイトルに記名されたキャラが、出てくるシーンで1幕終了……いや、ある意味見栄えはするかもしれないんですけど、どうしても遅いと感じてしまう。設定説明に織り込もうよ……。

まあ、それだけ語るべき設定が多かったということなのですが、ライブへの竜の乱入で初めて竜のことを知り、ライブにきていたアバターに言語で説明させる……いや、それは雑過ぎるでしょ。

竜がBellと同時期に出てきたアバターなら、Uへの初アクセスを回想なんかにせずに、リアルタイムでどんどん知名度が上がっていく自分と、逆に悪評が高まっていく竜を描いて、本当の私は彼の側の人間だ、みたいな思いを抱かせる……といった「世界観設定の提示」と「竜への興味を持つ流れ」の掛け合わせをした方がよかったんじゃなかろうか、と思うわけです。
それくらい、自分のライブに乱入してきたその時初めて知った存在を、悪意なしに知りたいと思うのは唐突が過ぎる。ここもパッチワーク感があります。

冒頭を歌にしたかったのはわかるんですが、それならそれで、竜からの視線を感じて気にする様子なんかを入れて、竜が気になっていった経緯を含めた回想にすればよかった。

要はこの映画、ただでさえ現実パートとUパートがあるパッチワーク構成なのに、それぞれにおいて何かを兼任した人物・シーンがあまりにも少ない。
つまり、要素の引き算と掛け合わせに失敗しているのです。

えいまんぼん
えいまんぼん

【余談】
現実パートとUパートが嚙み合わない理由の筆頭は、鈴とBellの好きな人(行動原理)が異なっているという点かなと思います。
本当に、なんで忍君、初恋の憧れのお兄さんとかじゃダメだったん……?

問題点2「テーマ選定のミス」

細田守監督は、この映画について「見知らぬ誰かを探す話を書きたかった」「美女と野獣のオマージュ、現代の美女と野獣をやりたかった」と言及しています。
だとしたら、この映画、実はテーマは一貫していて、筋が通っているのです

テーマ1:見知らぬ誰かを探す

否の意見として多く見られるのが、「母親の行動に違和感を感じる」「ラストで鈴を一人で向かわせるのは何の解決にもならないし、無謀」というもの。

しかしこれは、「見知らぬ誰か」のために行動した母に対する「なぜ?」を「乗り越えるべき過去」=「テーマ」としたためこうなった、と読み解くことができます。つまり脚本上の意図は簡単にわかる。それに対して鈴が見つけるアンサーが「見知らぬ誰かのために一人で行動する」になるのも自然な流れです。

実際、鈴がアンベイルされて、素のままで歌うシーンなどは、絵的には作り込まれていて感動的です。あ、これが描きたかったんだろうなあ、という感じ。(ただまあ、他にもっと安全な方法あったよね、と思わざるを得ないのはある)

テーマ2:美女と野獣のオマージュ

美女と野獣オマージュは、映像的にはまあもう見ての通りです。それが脚本に馴染んでいるかどうかは置いておくとして、とりあえず語る必要はないかなと思います。

では、監督の言う、現代の美女と野獣とは何か。

監督は「現代の美女」を「雨の中泥まみれになって誰かのために走れる人」と語っています。

過去のルッキズムからの脱却のような言葉なのですが、正直、監督が感銘を受けたディズニー版美女と野獣だって、美女は美しいだけでなく、その時代にしては最先端の本好きの女性ですし、原作でも高価な土産をねだる姉に対してバラを1輪、と言うような謙虚な女性。
内面の美しさがきちんと描写されています。

だとすれば意図するところは、ネット内にとどまるのではなく現実を走れる人というニュアンスかと思われます。だから、Uの世界で共感者を得て解決策へと繋げる、という合理的な手段を脚本上選べず、Uという世界があることに解決策としての意味を持たせることができない。

というわけで、これはもうテーマ自体が受け入れられなかった……というかもはや作劇として噛み合わないテーマだったのでは?となってしまうわけです。

なにせ、Uという魅力的な仮想空間を提示し半分はそこで話が進むのに、美を「現実を走れる人」と定義してしまっているんですから。

これでは、ネットでは本当の美は得られない、という話になってしまいます。
サマーウォーズにも似たようなところがあったのですが、あれは『大家族×ネット』という地続きの密な家族というつながりと、ネット世界という緩やかな仮想のつながりを掛け合わせたというところが話の肝になっているので良作なんです。解決策だって、家族を賭けたネット上の戦いでしたしね。

本作はネットが肝になりきれてないんですよね。
監督自身、定期的にネット世界を描いてきた自負があるようなのですが、今作でのネット世界は、どうにも……不備の多い空間として描かれているなあという印象。ネット世界を描きながら、ネット世界を批判しているような……
……監督、ネットで嫌なことありました? なんか、インタビューで「今やネットと言えば誹謗中傷」と語っていましたけど……心配……

皆さん、物語をみる時、「あ、これ伏線だったんだ!ここが繋がるんだ!」「このための人物だと思ってたらこんな役目も果たすのね!」「え、前半の何気ないやり取り回収したじゃん!みたいな場面で脚本のうまさを感じませんか?
少なくとも私はそのタイプの人間です。

まさかのところが繋がっていく『ご都合主義』にわくわくする。

それが「見知らぬ誰か」を探すのが肝となると、一番の見せ場にどうにも弱い繋がりしかできない。
視聴者が求めてる『ご都合主義』は、偶然が重なってざっくり特定できてしまった位置だけで竜のオリジンと出会えてしまったり、虐待されてる割に子供にネット環境整ってたり、虐待親父が女子高生に真正面から立ち塞がられるだけでなぜか腰を抜かすとかじゃあないんですよ。

陳腐な例ではありますが、母が助けた子供が竜だったとか、その手のご都合主義がほしいんです。

ただの鈴の親友兼プロデューサーだったヒロちゃんや、もはや竜が出てくるのに必要だった? と思わせるほどだった鈴の片思いの相手・忍君に、もう少し、何か他の役割を都合よ~く兼任させてほしいんです。

魅力的に描いたUの世界に、竜とBellが出会う場所だけでなく、もっと現実的でズバリな解決策を提示する役割を持たせてほしいんです。

うまく『ご都合主義』を使って、前半の「送っていこうか」を実現してほしいんです!(これはマジで切実)

抽象的な話と例で申し訳ないのですが、そういった『ご都合主義』をうまく使って馴染ませれば、全体から漂う要素のパッチワーク感が薄れるのではないかと思うのです。

……というわけで、まあ、

えいまんぼん
えいまんぼん

視聴者が欲しい、演出的な『ご都合主義』ってそこじゃないのでは?

というのが率直な感想になってしまう『竜とそばかすの姫』、絶賛アマプラで配信中です。

見どころは、Bellの歌唱シーンと、そのシーンの絵作り。(本当に映像は綺麗)

そして何より、そんな表現力あったんだ!?と驚かせてくれる、ヒロちゃん役・幾田りらです。

まじで幾田りらの演技だけでも見て欲しいので(話についてはかなり酷評しましたが)、一度見ておいて損はない作品です。
映像は普通にガチ目にきれいなので刺さる人には刺さると思いますよ。

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