クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶあっぱれ戦国大合戦(2002年/95分)を久しぶりに視聴。
大人になって見返すと、なんともアッパレな名作だったので、考察を書きにきました。
物語に必要とされる「主人公像」についての文章です。
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あらすじ
家族全員が同じ「時代劇のお姫様」のような女性の夢を見た日の午後。
野原しんのすけは、飼い犬・シロが掘った庭の穴から不思議な手紙を発見する。
自分が書いたような文章を見ながら「もう一度お姫様に会いたい」と目を閉じたしんのすけ。
目を開けたらそこは夢で見た泉――天正2年の世界だった。
時代劇の撮影と思い込み、知らずに敵兵の攻撃を阻んだしんのすけは、武士・井尻又兵衛が仕える春日城に迎え入れられる。そこには夢で見たお姫様・廉姫がいた。
未来から来たと語ったしんのすけは、又兵衛の家で生活をすることになり、廉姫と又兵衛の身分違いの恋や、隣国との駆け引き・戦に巻き込まれていく。

この映画が「描こうとしたもの」と「あるべき主人公像」
この映画で主人公・しんのすけが触れるものは、端的に言うと「武士道」
時代考証や文献調査にも力が入っており、かなり本格的と評価が高いです。
そしてストーリーの主軸は、又兵衛と廉姫の大人の恋路。
――おおよそ「クレヨンしんちゃん」の世界観に馴染むものではありません。
実際、この話を「少年が武士の世界に触れ、成長する話」として捉えると、
実は、野原しんのすけは主人公に適してはいません。
「武士の世界で成長する」が主人公の要件だとしたら、考えられる主人公像は以下が自然。
A:武士とは真逆の性質(弱虫・武士に理解がないなど)を持った少年
B:武士の世界に興味はあるが本質を理解していない少年
……しんちゃん該当していませんね。
でもこのストーリーに本来必要な主人公像はこれなんです。
なぜなら「成長の幅」が大きくなるから。
まず前提として、
物語とは「最初の状態」から「最後の状態」への変化の過程を描くものです。
この振れ幅・成長を「盛り上がるシーン」に配置するのが定石。
(※異なるタイプの物語もあります)
だから、メインに描かれる「武士道」に伴って成長する主人公
――そういう人物を配置すると、盛り上がるシーンで一緒に感情が変化する構図になるんです。
つまりこれが、すごく単純に考えたときの
【ストーリーが必要としている主人公像】
要所が平坦に進むストーリー構成
では、主人公に【野原しんのすけ】を配置した結果何が起こったか。
ご覧になった方はわかると思うんですが、この映画、合戦シーンなどがあっても、毎回盛大に盛り上がるということはなく、実はトーンはだいぶ控えめ。
これは全体を通して一貫しています。
なぜか。
たとえば重要シーンの、「金打(きんちょう)」
このシーンを見てもらえばわかりやすいと思います。
(※前半(1幕)はこの場面で区切りとすることも可能)
(※廉姫が又兵衛に抱き着くシーンで区切ることも可能)
本来切り替えのはずの、このシーン。
起こるのは空気感の切り替えだけで、しんのすけ自身の心持ちが大きく変わったかと問われたら、答えはノー。
「武士の誓い」という実に象徴的なシーンにもかかわらず、
しんのすけは飄々としたまま、すぐ次のシーンにうつります。
これが、
A主人公(武士とは真逆)なら、武士の覚悟の世界への第一歩
B主人公(武士を誤解)なら、誤解に応じた第一歩
がそれぞれ描けるので、
シーンの盛り上がり・切り替わりが【主人公の成長ライン】と同期します。
つまり、結果としてシーンの盛り上がりが増幅される。
一方しんのすけバージョンだと、後半のシーンの布石にしか見えないまであるので、
【主人公がシーンの雰囲気の増幅装置として機能していない】
と言えるのです。
(※廉姫の抱き着きを切り替えシーンとしてもしんのすけが蚊帳の外なので同じことが言えます)
野原しんのすけという「異物」の投入で成り立ったエンタメ
しかしながら、これは声を大にして言いたいのですが、
この映画は主人公が【野原しんのすけ】という【異物】だからこそエンタメとして成立してるんです。
どういうことか。
理由は3つあります。
1つずつ見ていきましょう。
1.しんちゃんだから「長い状況説明」が保つ
この映画、「金打」を1幕の終わりと見ても、
実は話の切り替わりポイントとしてはだいぶ遅いです。
(※抱き着き~野原一家合流にするともっと遅い)
そこまではゆっくりと世界観・設定が開示されていく。
でもこれが成り立っているのはひとえに
【野原一家が戦国タイムスリップしてるだけで絵的に面白い 】
これに尽きるんです。
2.しんちゃんだから「暗いシーン・設定」が重くなりすぎない
これも大事。
序盤でしんのすけは、又兵衛が天涯孤独であると聞きます。
その時の反応は、ほぼノーリアクション。
又兵衛への理解を深め、境遇に感情を動かされるのは「観客」
ほかのシーンでも似たような構図になる場面がとても多いです。
これが本当にうまくて、
*奥行を察する大人は、又兵衛と廉姫の恋路と別れをより悲劇とみていく
*子供は、反応しない野原しんのすけをクッションにして安全な位置から物語の流れを鑑賞する
という2通りの見かたが自然に成立するんです。
これ、子供向けの映画として本当にうまい。
3.しんちゃんだから「結末の小さな成長」が大きな成長に見える
ここが【野原しんのすけ】というキャラクターを採用した醍醐味。
この映画、
・悲劇は回避できない
・敵は倒さない
・恋愛も成就しない
という構成。
つまり、変わるのは「考え方」だけ。
この【思考の変化】を大げさにやるとどうなるか。
簡単です。
めちゃくちゃ説教臭くなります。
ここを、【大きく見えるけど実際は小さな成長】にとどめることで説教臭さが激減している。
そしてそれを「しんちゃんにとっては大きな変化だ」と思わせられることこそが、野原しんのすけの主人公力なのです。
要するにこの映画、感情の変化は、基本的に観客の見かたにゆだねられているんです。
だから、心に残る。
そぎ落とされた美ってこういうことです。……多分。
まとめ
というわけで、まとめるとこちらの映画、
【ストーリーラインが必要とする主人公】をあえて配置しないことで、
【ずれによるクッション】を作り、
【変化を観客にゆだねる】ことで説教臭を取り除き、
【重い話を子供向けに昇華してる】
……という、めちゃくちゃ高度なことやっています。
こんなの、そりゃいつまでも記憶に残りますよね。
しかも見る年齢によって受け取り方も変わってくるタイプ。
名作だなと思います。
以上、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」の考察でした。
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